本ウェブサイト立ち上げ前からの静耕舎ファンはご存知かと思いますが、農村の昭和家屋を居抜きで入手したことにより、母屋以外の建物(納屋、倉庫)には先住者の様々な物品が詰まっている(移住者の経験で、よくある話らしい)。歴史や往時の息吹を感じさせるものもあり、いくつかは日々の生活の中でもありがたく使わせていただいているが、中には処分せざるを得ないものも少なからずある。
引っ越してきてから、夏の間は農作業の片手間に少しずつ処分してきたのだが、農閑期の今、大物に手を付けるときが来た。倉庫の片隅に眠っていたもみすり機2台(写真はそのうちの1台、もう1台は緑だった)だ。今のもみすり機はほぼすべての部品が金属製であるが、昭和の時代のもみすり機はご覧の通り木製部分も多く、くず鉄屋さんにそのままでは引き取ってもらえなかった物である。修理も考えたのだが、回転軸をつなぐベルトなどのパーツがほぼ入手不可能とのことで、木製部分と金属部分をできる限り分解することにしたのだ。
写真左からもみ米を入れると、いくつかの網で藁くずや粃と混じった中から、充実したもみが選抜され、中央上部から右のもみすりロールに供給される。その後もみ殻と玄米に分かれて排出されるというもののようだ。実際に動いているのを見たわけではないので、構造からの推定なので間違っていたらすいません。
こちらが、とりあえず外せる部分を外したもの。金属部品が中心だ。白くて丸い二つはもみすり機の心臓部ーゴムロール。回転速度がわずかに違うゴムロールの間をもみが通ることによって、もみ殻が外れるというもの。昭和初期に開発され、今も使われている技術で、今の機械でもこのロールの形状はほとんど変わっていない。
そしてこちらが、そうした機能部分を支える躯体。木製の割合が大きい部分だ。もみすり機の回転や振動に耐えうるようにか、すごく頑丈に作られている。実は並行して、近年作られたベッドも解体していたが、こちらは中空の合板で作られており、金づちでたたいたら一発で壊れたのと好対照。昔のものは作りがしっかりしているなぁと思った次第。
他方、もみすり機のボルトは一部いびつで角度によって同じサイズのレンチがはまらなかったりしたので、JISなどの規格が徹底されていなかった当時の状況を垣間見ることができた。
ちなみに今ではもみすり機を自前で持つ人は少なくなり、ライスセンターという共同の施設にもみを持ち込み、もみすりをする人が多い。このセンターでは品質を向上させるために時期によって持ち込めるコメの品種が決まっており、変った品種のコメはもみすり難民になってしまったりするのだった。