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無くて七草

セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ。

言わずと知れた春の七草。1月7日は、一年の健康を祈って七草がゆを食べるのが日本の伝統とされている。

実家では育ち盛りの子どもを慮ってか、餅も入った七草がゆを食べていた。小さい頃は七草をシチクサと読んで験が悪いと怒られたのもなぜか印象深く覚えている。そのせいか、東京で一人暮らしをしていた時もこの風習だけは欠かしたことがない。時期になるとスーパーで大量に七草セットが売られていたことも習慣を途切れさせなかった理由のひとつだろう。

しかし、岡山に引っ越してから頻繁にスーパーに行くなんてことはなくなった。今年に入ってからも集落内を移動した以外は車で移動していない(10km 離れた神社への初詣では徒歩で行った)。

というわけで手軽に七草を入手できないということもあり、去年あたりから家の周りで七草を探すことにしている。しかし、意外に七草がないのだ。セリ・ナズナは、田んぼの脇に生えているのだが、ゴギョウは夏には見かけるがこの時期は判別がつかないほど小さい。ハコベラは、外来種のウシハコベに追いやられていてこちらも見当たらない。ホトケノザは、シソ科のホトケノザ(子どもが蜜を吸うアレです)はあるが、七草に数えられるのは本名タビラコ(ホトケノザは別名)も見当たらない。そもそも元々は旧正月(2月)に合わせて始まった風習だから、それぞれまだ早いのかもしれないとも思うし、雪国ではこの七草をどのように調達したのだろうかと考えると七草の内容は全国共通であったのかという疑問も湧く。ということで、今年は身の回りのもので好きに七草を構成しよう! という結論に至った。

そんな方向で、集めたのがこれ。

左手奥はセリオオバコ、その右に大根(スズシロ)、中段真ん中がカブ(スズシロ)、右がナズナ、手前は左から、雪の舌(ユキノシタ)、ゲンノショウコ、セリ。要はこの時期でも元気に青々と育っている植物の生命力にあやかろうという趣旨なので、畑や畦を眺めて青々としているもの、かつ、おかゆの味を壊さないものを選んでみた。このほかにも、ヤマニンジンやヤマワサビも見つけたが、少し匂いや味の主張が強いので却下。

後ほど調理をしていると、ナズナの根元に小さなハコベ(ラ)も見つけたので、結局八草粥になってしまったが、七福神にもあやかりつつも、末広がりということで今年は良い年になりそうだ。

さて、閑話休題。

七草含め、風習を再構築したいと思うことがある。古くから伝えられている風習は、成立時の時代背景や環境を反映したものであるけれども、現代にそぐわないものになっているのではないかと感じることも多いからだ。

例えば、お節の黒豆。本来は12月から1月に収穫し、それから乾燥、選別をするので、栽培暦からするとお正月前の出荷に間に合わそうとすると、相当頑張らなければならない。だからこそ「真っ黒になるまで働ける」という縁起物なのかもしれないが、旧正月だったら通常の栽培スケジュールでも十分間に合うのに、と思うことしきり。

例えば、年末の大掃除。寒いときに窓ふきを含む水拭きって大変だし、窓を開け放って外気を入れることすら億劫になる。すっきりしてお正月様を迎え入れるという意味合いや、そもそも農家にとってまとまった時間が取れるのは冬だけというのもあるのだろうけれども、春、あるいは秋の衣替えの時に大掃除をした方が、効率的だし、寒くもない。

他の例では、麹造り。古来から雑菌の少ない冬に作るのが良いとされているが、寒い冬に麹室に適度な温度と湿度を保持するのはなかなか調整が難しい。春先から梅雨前につくると温度管理のことはあまり心配せず(場合によってはあまり加温せず)に作れる。生活空間における雑菌の量は従来に比べて格段に減っているだろうなとも思うし、実際我が家では夏に麹を作っても失敗したことはない。

 

この前、甘酢を作りながら思いついたのは、そもそも酢に砂糖を煮溶かす(加熱する)必要ってないんじゃないかとおもうこと。砂糖の溶解度は高く、常温でも水の2倍程度の重さならかき混ぜるだけで充分溶ける。味をなじませるためとレシピに書かれていることが多いが、むしろ従来のお酢は火入れがされていなかったために砂糖で追加発酵させないためじゃないかと思い至った。だとしたら、現代の一般的な酢だと煮溶かす必要ないんじゃないかなぁと疑問視するようになってしまった。まぁ、でも我が家の酢は、発酵後火入れをせずに使っているので、保存食用の甘酢は煮溶かして酢酸酵母を殺菌しておくのが不可欠ではあるのだけれども、、、。

ということで、生活の中で思考をフル回転させながら(ケチをつけながら?)日々日々楽しく過ごしております。