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ミネルヴァのフクロウは黄昏に飛び立つ

「そういえば、フクちゃんの鳴き声を聴けなかったなぁ」というのが、彼が飛び去るのを見送りながらの感想だった。彼と言っても、性別はおろか、年齢も良く判らないフクロウのことである。

 このフクロウ、元々は近所のハウスに入り込み出られない状況になっていたところを逃がそうと追い回した結果、何かにぶつかったか、脳震盪のような症状(意識がもうろうとしている感じと、左目が少し開きにくい状態)になったところで、うちに持ち込まれたのだ。保護しに行ったときには、体も満足に動かせず、手で抱えても何の抵抗もできないような状態だった。

フクロウを持ち込んだ方が近隣の自然保護センターや動物園に問い合わせたところ、いずれからも引き取りはせず山に放置してほしいとの回答であったが、このまま山に放せばキツネなどに食べられて終わるだろう。それも自然の摂理ではあるが、一度拾ってしまったので、やはり自力で生き延びる力をつけるまでには回復してほしいと感じてしまい、そのまま預かることにした。

とりあえず、これまでニワトリ用に作った、広めのケージと天敵除けの網を駆使して、フクロウにとって窮屈でないだろう住処を用意し、しばらく様子を見ることにしたのだった。

これまでフクロウを扱ったことはないので、経過を観察しながら、ネットでいろいろ検索。飼育されているフクロウには、冷凍ヒヨコ、冷凍ウズラ、タニシ、ザリガニなどが餌として使われていて、肉だけだと栄養が偏るので丸ごと与えるのがいいとか、環境が変わると3日ほど絶食することもあり、栄養不良になると緑色の絶食便と呼ばれる糞をするようになる、などの情報を得た。

そうした情報をもとにしながら、とりあえず人間用の鶏肉と水をケージ内に置いて静観を決め込んでいたが、3日たっても自分から食べる気配がない。というよりもむしろぼーっとしっぱなしのように見える。そこで4日目に強硬手段に出る。100均で売っている注射器のシリンジ(もちろん針は使いません)に鶏のミンチを詰め、すこし開いているくちばしのすきまからギューッと押し込んだのである。

最初は反応も薄かったのであるが、次第に飲み込むようになり、やがてはすりつぶしていない肉も食べるようになり、少しずつ回復する兆しを見せるようになった。

しかし回復して食べる量が増えるにつれ、栄養の偏りがあるという鶏肉ばかりを与えるのが不安になり、いろいろエサを探すようになった。おそらく自然状態では食べないであろうミミズやコガネムシの幼虫も、栄養があるんだよーとささやきながら無理やり食べさせ、さらにはアカハライモリ(これは喜んで食べた)、冬眠から覚めたばかりのシュレーゲルアオガエル、トカゲ(途中でしっぽを切って逃げられたのでしっぽだけ)、サワガニ、スズメなど、様々な動物を捕まえてはフクちゃんの食卓に供したのだ。

 

自分もフクロウになった気分で回りを探し回ったおかげで、まだ水も冷たいのに、様々な生き物が息づいていることがよく判った。

キツツキが木をつついているシーンを初めて見たし、写真のようにヒキガエルの卵(発生が進んでいてほぼオタマジャクシになりかけているので、ゼリーの中身の粒は丸じゃなくて細長い)[後日談:のちにこれはセトウチサンショウウオの卵嚢であることが判明]を発見することもできた。フクちゃん様様だ。

そんな風に生き物探しに躍起になっているときに、相棒がぼそりと「フクちゃんを生かすために他のいろんな生物を殺してもいいのか?」と呟いた。確かに、、、、、。しかし、言われた直後は自分が鬼子母神のような悪行に走っているようにも、そして自分が生きるべき命の選択をすることの畏れ多さを感じたのだが、引き続き生餌を探し続けていると、いいや違うという内なる声が響いてくる。実は毎日の生活が、他者の命を奪い自分の命を生き永らえさせる選択の繰り返しじゃないのか?農産物の生産だって、実は育てている命より奪っている命の方が多い。間引き、除草、防虫、、さらには育土(土つくり)や、種まきでさえ、そこにはあるはずのない新しい生物を持ち込んだり、特定の生物を増やしたりして、他の生物を抑え込む作業である。 なんと、なんと多くの命の上に、われらの命と暮らしが成り立っていることか!と圧倒されつつも、先日会ったばかりのフクちゃんも生き延びて欲しいという声が湧き上がる。どういう命の選択が自分なりに許容できて、社会的に許容されて、、、という整理はまだまだつかないけれど、またもや泥にまみれながら哲学をしてしまいました。さすが森の哲人、フクロウ。人にも哲学をもたらすなぁ、、、、。

 

 

というわけで、命のやり取りを考える動画をもう一つ。少し血なまぐさいのでご注意ください。