稲作に必要な水を確保するため集落の中にはため池がいくつか整備されている。
農業用水池は、用水確保以外にも防火水槽の役目を担ったり、様々な用途で使われ小さなビオトープになっている。この集落ではかつて、数年に一度稲作が終わって水需要が減るころに用水をすべて排水し、堆積した有機質の汚泥を排出し、設備維持をするとともに「鮒取り」という行事を行っていた。鮒取りは文字通り残り少なくなった水の中に入り、大きく育った魚を捕るそんな行事だ。いろいろ調べると九州の一地方では神事として毎年催行されているところもあるらしい。
そんな牧歌的な行事も耐えて久しい今日この頃、ある時集落の集会で、一人の古老が「鮒取りがしたい」とつぶやいた。その初耳の単語に、まずなんだそれと聞き出してみると冒頭のようなイベントなのだが、何とも楽しそうではないか。往時は握りこぶしの太さほどもあるウナギやら、鮒やらが獲れたこともあるらしい。それもすべて村の古老たちの幼き頃の思い出。今ではため池にはブラックバスが住み着いておそらく在来魚種はほぼいないだろうし、ヒシが繁茂してなんだかおどろおどろしい。しかし、そんな用水池が、一気に面白く見えてきた。
古老のつぶやきから1年ほど経ったころ、集落で一番大きな用水池の周囲の雑木・雑草を刈ることになったので、作業上水を抜かなくてはという話になった。これは、千載一遇のチャンスとばかりに、「どうせなら全部抜いて鮒取りしましょうよ」と悪魔のように囁き周り、水を全部抜く方向になったのだが、なんと底樋がどのようになっているのか記憶している人がいないとのことで、上から順々に斜樋の水抜き選を抜いていくことになった。
斜樋の水抜栓をたぶん最後まで抜いた頃、どうも用水池の管理人Mさんが底樋を抜こうとする気配がない。ばったり会ったついでに話を伺うと、底樋の栓が泥の中にあるので、もう抜く気力がなくなったとのこと。すでに時は11月。秋の足音も迫った頃だったので70歳を超えるMさんに泥の中に入れというのは土台無理な話だ。というわけで、Mさんに許可を得て面白半分に底樋の捜索に乗り出した。
しかし、池の底は滑らかな泥というわけではない。繁茂したヒシが厚い層を作っているし、そこかしこにヒシの実が転がっている。ヒシの実は、古来忍者がマキビシ(撒き菱)として追っ手の追跡を躱すために使っていたほど固いトゲトゲがある。着衣にはトゲが絡まるは、露出した肌には刺さるはと、なかなかの厄介者(青いうちは食べられる)だ。
しばらくの間ヒシをかき分け、泥をかき分けしていると、泥の底に固い木の感触。底樋の栓だ。直径40㎝以上の丸太は、あとから聞くと松材でできたものらしい。50年近く底樋にはまっていた栓はいささかの傷みもなく、樋にきっちりとはまっている。体を水の中に沈めて、栓をきっちりと抱え、よーいしょっと―、、、。何とか抜けたけど、栓が抜けると大きな水流ができて自分の足が攫われそうになる。樋穴の中に吸い込まれたら命とり。危ない危ない。
しかし、これで水がどんどん抜ける! と思ったら、数日たってわかったのは、汚泥(ドベとこの辺りでは呼ぶ)が予想以上に溜まっていること、しかも、上から水を順に抜いたので、思うように汚泥が洗い流されていないということだった。その泥のおかげで水も抜けきれないし、結果泥もこれ以上洗われない。
というわけで、泥の海の上に板を渡しながら、泥に底樋に通じる溝を掘っているところが左の写真。
この後、だいぶ水が引いたところで、集落のみんなで周囲の雑木を伐採してきれいにして、その後しばらくして水栓を戻した。
鮒取りをするにももう寒くなっているし、また、来年の稲作用に十分な水をためるのにどの程度の時間がかかるかわからないので、安全サイドに立った判断だとは思う。
ということで、次はまず底樋を抜いてこの用水池の汚泥をきれいにすることからスタートしたいなと思っているこの頃である。
ちなみに鮒取りをするしないに関わらず、農業用水池の水を抜いて汚泥を取り除くこと、乾燥させることは取水施設の維持管理上有益とされているうえ、生物多様性の保全や外来種の駆逐という環境保全の意味からも有効とされている。また、やはり鮒取りというイベントで集落が活気づくのがいいと思ってるので、来年につなげていきたいなぁ、、、、。