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春の光

この集落に住み着いてから知った行事にお日待ちというものがある。1月第2日曜日あたりに集落であつまり菩提寺の住職様においでいただき、読経してもらうというものだ。この行事自体は、集落に古くから住む方の宗派に属する方のみ参加するが、前後では新年のあいさつやちょっとした情報交換などがあるので、宗派に関わらず人が出入りする。

この行事、和気町内でも神道に基づいて行われたりもして、集落ごとに謂れは様々。一晩中起きてみんなで日の出を拝むというのが元々の在り方であったようだが、今ではずいぶん簡略化されている。新年をみんなでお祝いするとともに冬至を過ぎて復活していくお日様を祝うということであったろうと思われ、全世界に共通するお祭り(ユールの大祭、クリスマス、ゾロアスター教など)の一形態だと思われる。類似のお祭りを調べていたら、庚申(こうしん)待ちというのに行き当たった。庚申(かのえさる)の日に体に巣くう三巳(さんし=上巳、中巳、下巳という三匹の蟲が体に巣くっていると言われている)が宿主の悪行を閻魔様に告げ口すると言われていて、それを阻止するために夜明かしをみんなでするという道教の行事だ。これは古典で読んだことがあるので、平安時代には定着していた行事のようである。何かにつけ、みんな集まって夜明かしをしてきたのだなぁと、ほのかな面白みを感じる。

庚申(こうしん)と響きが近いが、家の近くに荒神(こうじん)様の祠がある。従来はイネの収穫が終わった頃に、新米で作った甘酒をみんなで飲むという風習があったらしいのだが、今は廃れてしまっている。祠の周りの山林も手があまり入っておらず、自分の田んぼへの日を遮っているので、この冬の間に木を伐採した。といっても、まずはヒノキやクヌギの合間に茂って今はむしろ最も大きな勢力を誇っている竹・笹を伐採。樹勢を弱めたいので、地際ではなく、1mくらいを残して刈り倒していく。太い竹もあるけど、残念ながらかぐや姫が出てくることはなく、時々アリ(ヒラズオオアリという種類とのこと)が入っていたりした。ばっさりばっさりのこぎりで倒していって(写真左が未伐採、右が伐採した後の様子)、足の踏み場が失われていったが、おかげで田んぼにも日が届くようになり、今年の夏は収穫増が期待できるのでは??

とまた欲深な思考を巡らせている。

冬の間に今年の作付けの準備をするのは、いずれの農場も同じ。近所のスモモ園では徒長枝の伐採や、樹形を整える意味での選定、新しいブドウの植え付けなど、今年の夏に向けて作業が動き出している。それを手伝いながら見つけたハヤニエ。バッタが、この冬を乗り切るための保存食としてスモモの木に刺してあった。夏に向けての作業、冬を乗り切るための作業。動物も人も、少し将来を見ながら動いているのだなぁと、なんだか不思議な気持ちになった。

寒さは続くけど、春はもうすぐだ。